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文学講座 第36回 レジュメ (2007年4月14日)
有島武郎の『或る女』は、近代文学がはじめて達成した本格的な長編小説である。ただし、前編(『或る女のグリンプス』)と後編に落差がある。たいていの批評は、藤村の『破戒』に続く長編とするが、私は、『或る女』を孤立した長編と見る。「葉子」のモデルが、佐々木信子とか、田村俊子とかいうことに関心はない。「葉子」の男性に対する反逆が女性であるための屈従だったという批評も、私には関心がない。むしろ、この作品が、女性の内面を描きながら、じつは日本文学にあらわれたことのない病者の文学と見ていいのであって、ここに有島の独自な視点がある。
有島武郎の自殺(心中)は、まさに時代の「腐乱」にほかならなかった。
この時期、無名作家が『日輪』という短編を書いた。まだ誰もこの作家のおそろしさを知らない。この作家、横光利一の登場は、「日本語との格闘」の最初の狼煙だった。ここに、新旧文学のはげしい相剋がはじまる。
文学講座 第35回 レジュメ (2007年3月17日)
旧制一高の寄宿舎で、菊池
寛が破れたハカマをはいて歩いている。久米 正雄は黒モメンの紋付き、白シャツ。みんなが野球に熱中していた。
矢内原 忠雄はキリスト教の演説。近衛 文麿は自転車に乗って、近所のお菓子屋に。
一高文芸部に、菊池 寛、丸木 佐土(秦 豊吉)、佐野 文夫。菊池は「バーナード・ショウ論」を書いて「現代の英雄は戯曲家である」と宣言する。倉田
百三は人生の煩悶に悩みながら女遊びをする。芥川 龍之介、藤森 成吉は勉強ばかりしていた。
新渡戸 稲造は「かっぽれの語源は、ギリシャ語のカルポレ、すなわち収穫の意味である」という珍説をご披露する。
こうした人々が、大正の教養主義を推進した。
そのなかで、菊池 寛は、「真珠夫人」で通俗作家として成功した。劇作家としても、一流だった彼は、その後、文壇の大御所と呼ばれるが、その後、なぜ急速に創造性を失ったのか。
島崎 藤村は、「新生」によって、作家として大きく転換したが、芥川は、なぜ、藤村に「老獪な偽善者」を見たのか。
* 次回は、「或る女」つけたり「日輪」
中田耕治
文学講座 第34回 レジュメ (2007年2月17日)
大正七年はどういう時代だったのか。素木しづが死んだ。島村抱月に先立たれた須磨子は、坪内逍遙に叱責され、翌年、自死する。中条(宮本)百合子が外国に旅立つ。東京在住のデ・ハヴィランド夫人が「キスメット」を上演する(映画女優、オリヴィア・デ・ハヴィランド、ジョーン・フォンティンの母である)。ロシアの廃帝、ニコライ一家の消息。皇女タチアナがアメリカに出現する(後年のアナスタシア伝説よりも早いニセモノ)。
佐藤春夫の「西班牙犬の家」は、この時代にあらわれたもっともすぐれた幻想小説。日本では、昭和に入って、萩原朔太郎の「猫町」に並ぶ。
吉屋信子は、投稿をつづけるうちに岡本かの子の励ましをうける。信子は高女在学中に『花物語』連作を開始する。三歳下の中条百合子の登場に刺激されて、長編「地の果てまで」で作家として登場した。
だが、吉屋信子はなぜ通俗作家にとどまったのか。
中田耕治 |