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2017/04/24(Mon)  1712
 
  私のメモ。

17年1月21日(土)、ドナルド・トランプが、アメリカ合衆国第45代大統領に就任した。日本では、時差のため、深夜過ぎにライブで放送された。私はドナルドにほとんど関心がないのだが、オバマの就任式とどれほど違うのか見届けたかったので、この放送を見た。
 就任直後に、ドナルドは「アメリカ・ファ−スト」を語り、外交・経済において国益をなによりも重視する立場を鮮明にした。
 その演説は16分間、じつにわかりやすい内容で、ドナルドの頭脳の単純さがつよく印象された。このグ−フィ−・プレジデントは、「アメリカ・ファ−スト」、アメリカ、アメリカを30回もくり返している。いい気なものだ。
 「グ−フィ−」が、アメリカの労働者の一部の雇用を確保することは間違いないが、アメリカ人全般の家庭に恩恵をもたらすことはない。早晩、「グ−フィ−」に対する失望や反感がひろがってくるだろう。

    死んだかとおもへば戻る 男猫       五 明

 五明は、蕪村と同時代の俳人。

    いずれもの ねこ撫で声に としの暮れ   嵐 雪

                             (私の歳時記・2)

2017/04/18(Tue)  1711 私の歳時記 1
 
 以下は、私のささやかなメモのようなものである。
 しばらくブログに何も書かなかったので、今年になってから、思いつくままに書きつづけていた。(2017年1月21日、前書き)

 2017年1月20日(日本時間で21日)、ドナルド・トランプが、アメリカ大統領に就任した。その得意や思うべし。
 Trump’s Triumphである。

 おなじ日、トランプの就任に抗議する「女性の行進」が、おなじワシントンで行われた。参加者は、マドンナ、スカ−レット・ヨハンソンをはじめ、約50万人。反トランプのデモは、全米各地のみならず、ロンドン、ベルリンなど、70カ国以上、全部で670カ所で開催されたという。

 反トランプ感情について――数年前まで何も知らなかったが――ふと思い出したことがある。

 私の好きなTVミュ−ジカル、「SMASH」の第9話、「Hell On Earth」に、「シュ−バ−ト劇場」の舞台ミュ−ジカルが出てくる。ヒロインの一人、「アイヴィ−」がコ−ラスガ−ルとしてショ−に出ているのだが、その歌詞に――「共和党だろうが、民主党だろうが、死ねば誰もが『最後の審判』にかけられる」。ジャンヌ・ダ−クは火刑になったし、ナポレオンは失脚した。「ドナルド・トランプ」だって、ビジネスに失敗して、「最後の審判」にかけられるかも知れない、という内容。

 トランプが、大統領選挙に出馬する前の2013年のこと。私は、このミュ−ジカルで、ブロ−ドウェイの反トランプ感情について知ったのだった。

 トランプの発言は、世界的に大きな反響を喚び起こしている。私がひそかに注目しているのは、ドイツのトランプに対する反応である。「ビルト」は、「トランプの登場によって、世界は極度に複雑化する」という見方をとり、国家主義の悪夢がトランプ政権との信頼関係を構築する障害になると指摘している。
 (私もまったく同感である。トランプの登場は、いろいろな点で、アドルフ・ヒトラ−の政権掌握に似ている。後記)

 トランプの就任の翌日、ドイツのコブレンツで、極右政党、「ドイツのための選択肢」(AfD)のフラウケ・ペトリ−共同党首が、移民受入れ停止や、人種差別を昂言している。こうした発言から、ヒトラ−の登場した時代をつよく思い出すのは、私ひとりだろうか。

 ひょっとすると、ドナルドは自分をヒトラ−の再来と認識しているかも。少なくとも自分がアメリカ皇帝に即位したぐらいに思っているかも知れない。

 トランプの閣僚人事をながめるだけで、この大統領の「グ−フィ−」ぶりが見えてくる。これまでのアメリカの歴史のなかで、トランプほど、大富豪や、実業家、金融機関のトップを閣僚に起用した大統領はない。これは大いに注目していいと思う。国務長官に、石油の「エクソン・モ−ビル」の会長、兼CEO(最高経営責任者)、レックス・ティラ−ソンを起用したのも、その一例。
 令嬢、イバンカの夫、ジャレッド・カシュナ−を、大統領上級顧問としてホワイト・ハウス入りをさせた。露骨なネポティスモ(親族優遇)というべきだろう。

 ただし、残念ながらトランプはアメリカ合衆国「初代」皇帝にはなれない。

 1859年から1880年まで、アメリカ合衆国には皇帝が実在している。ジョン・エブラバム・ノ−トンである。皇帝の即位は、「サンサランシスコ・ブレティン」(1859年9月17日)に、「勅命」によって公表されている。
 したがって、トランプは、「初代」にはなれない。(笑)

    はる寒く 葱の折れ伏す畠かな      太 祇

 トランプにはまったく関係がないが、そんな句を思い出す。

    春寒し 風に暮れたる 藪の月      蘇 山

  
                 (私の歳時記・1)

2017/03/30(Thu)  1710
 
 私のブログ、アクセス数が10万に達した日、私としてはめずらしい集まりに出席したのだった。

 じつは「日本推理作家協会」主催の「土曜サロン」で講師をつとめた。
 この土曜サロンは「日本探偵作家クラブ」の頃に江戸川 乱歩が中心になってはじめられた「土曜会」が前身だが、「推理作家協会」になってからは南青山で「土曜サロン」として現在、年6回、開催されている。
 石井 春生さんをはじめ事務局の方々にお世話をいただいた。

 テ−マは私の任意ということなので、私がミステリ−の翻訳をはじめた「戦後」のミステリ−の状況や、翻訳についての回想といったことにしていただいた。
 いまから、70年近くも昔の話なので、あまり興味をもつ人もいないだろう。当時、ミステリ−の翻訳をはじめていた人たちのほとんどが鬼籍に入っている。したがって、もう誰の記憶にもないようなことを話す程度なら許されるかも知れない。

 「土曜サロン」での私の講演は、戦前から日本の推理小説を読みつづけてきた少年が、「戦後」になって、文学批評をめざしながら、ミステリ−をはじめ、ひいては、SFから怪奇小説、歴史小説などの翻訳をつづけたことを中心に、「戦後」のある時期までのアメリカのミステリ−の変化を述べることになった。

 正直にいって、当日、私自身は健康状態に懸念があった。なにしろ老いぼれのもの書きなのだから。
 とにかく足もともおぼつかないので、親しい友人2人にお願いして同行していただくていたらくであった。

 付添ってくださったのは、旧知の作家、山口 路子さん。そして翻訳家の田栗 美奈子さんのおふたりだった。
 山口さんは、美術関係の著作に、『美神(ミュ−ズ)の恋〜画家に愛されたモデルたち』、小説『軽井沢夫人』、『ココ・シャネルという生き方』をはじめ、オ−ドリ−・ヘップバ−ン、エディト・ピアフ、ジャクリ−ン・ケネディなどのライト・レヴュ−、最近作は『マリリン・モンロ−の言葉』などで知られている。
 田栗さんは、高名な翻訳家で、デイヴ・ペルザ−の『Itと呼ばれた子』、ジョン・バクスタ−の評伝『ウディ・アレン・バイオグラフィ−』、マイケル・オンダーチェの『名もなき人たちのテーブル』など。
 私の講演のあと、出席者の質問でも、おふたりに発言していただいた。これも、私にとって大きな喜びになった。

 残念なこともある。「土曜サロン」の当日、これも翻訳家の青木 悦子さんに再会できるはずだった。
 実をいえば、この「土曜サロン」の集まりで私がレクチュアする話は青木 悦子さんが打診してきたのだった。私が、「土曜サロン」に出席するときめたのは、悦っちゃんに再会できることを、ひそかに楽しみにしたからだった。その青木 悦子が欠席という。ほんとうに残念なことだった。

 さいわい、なんとか話を終えて、いろいろな質問にも答えることができたのだった。
 ただし、全体に蕪雑なレクチュアに終始したことをお詫びしたい。わざわざ足を運んでくださった方々に、ろくな話もできなかったが、熱心に聞いて頂いたことに感激している。これが、私の最初にして最後のレクチュアになったが、生涯の思い出を頂戴したと思っている。

 この3月18日(土)は、私にとって忘れることのできない一日になったのだった。

 じつは、私のブログ、アクセス数が10万に達した日、そして私としては生涯最後となる「土曜サロン」の集まりに出席した日、私は、おのれの人生でもっとも過酷な時間のさなかにあった。
 付添いのおふたりにも伏せていたが、この日のできごとのすべてが、夢のようだった。それもひどく悪い夢で、レクチュアしながらも、おそろしい、まがまがしい夢にうなされているようだった。

 講演を終わって、「推理作家協会」の作家たち、事務局のかたがたの見送りを受けながら、黄昏の表参道を往来する車を眺めながら、私はしばらく佇ちつくした。もう何も考えられなくなった私は、自分を待っている運命の前に、おののきながら立ちつくすよりほかなかった。

 3月23日(木)、午後8時40分、妻の百合子が亡くなった。

2017/03/20(Mon)  1709
 
 3月のある日、田栗 美奈子から電話があった。このブログ、アクセス数がついに十万の大台を突破したことを知らせてくれたのだった。自分でも信じられないアクセス数であった。

 もうすでに書いたことだが、私のブログ、「中田 耕治ドットコム」は、偶然にはじまったのだった。
 私にブログを書くことをすすめてくれたのは、田栗 美奈子、吉永 珠子のおふたりで、何も知らない私のためにいろいろと準備してくれたのだった。一方で側面から私を助けてくれたのは、真喜志 順子だった。この三人のお力添えに、あらためて感謝している。
 これほど長い期間にわたって、ブログを書きつづけるとは考えもしなかったが、そのときそのときに私の内面にあったテ−マを書きとめておくことは、けっこうたのしい作業になった。

 ブログを書きはじめた時期の私は、今ほど老いぼれてはいなかった。アクセス数など、考えもしなかった。ただ、私のブログは、一日きざみで自分の老いを見つめてゆくものになったはずである。
 もう数年前だが、友人の人形作家、浜 いさをが、私のブログを読んでくれたが、
 「地味だなあ!」
 といった。
 むろん、軽蔑のことばではなく、私のブログの貧しさに心から驚いたようだった。

 私自身が内向的で地味な性格なのだから、ブログが地味でも仕方がない。おのれの鬱屈した思いを文章にしたつもりもなかった。あるいは、自分の日々の感情を克明に記録すれば、アナイス・ニンの「日記」のような日記になったかも知れないが、はじめからそんな意図はなかった。
 ただ、未知の誰かが私のブログを読んでくれるかも知れない。そんな期待はあった。
 個人的に面識はなくても、私と似たような文学的な好みをもっている人たち、あるいは、個人的に私と親しい友人たちにあてた近況報告のようなものを発信するだけでよかった。
 だから、ときどき、私の知らない不特定多数の読者がこのブログを読んでいてくれると知って驚いたり、喜んだりしたものだった。

 「中田耕治ドットコム」には、自分の心をかすめるものごとについて、書きつづけた。
 今にして思えば――田栗 美奈子と、吉永 珠子のおふたりが私の目をブログというあたらしい世界に向けてくれたのは、当時の私が何も書かなくなることを心配してのことではなかったか。
 私は、おふたりの好意をありがたく思っている。
 ブログのアクセス数が10万に達しようとしている。それをわがことのように喜んで、声をはずませて知らせてくれた田栗 美奈子と、吉永 珠子に感謝している。

2017/03/06(Mon)  1708
 
 どういうものかブログを書く気にならない。何か書いても、どうもおもしろくない。
 別にスランプというわけではない。画家のマグリットは、アトリエももたず、キッチンで絵を描くような日々を過ごしていたという。彼が描いていたのは、誰も描くはずのない、奇妙な絵ばかりだった。

テレビ。これまで一度も見たおぼえがない筬という漢字を覚えた。ノ−ベル賞の授賞式に、ストックホルム大学の学生組合が、会場に旗を立てて参加する。歴史ある旗だが、これが傷んできたので、ストックホルム大学が日本の職人に新しく織らせることを依頼した。

 日本の職人は、じっくり研究して、まず、この生地の糸が山繭であることをたしかめる。しかも、この糸は、4本で撚糸をして、これを金に染めて織りあげるのだが、横糸に縦糸を織るときに職人が筬ベラを使って布に仕立ててゆく。この作業をじつに1万4千回くり返す、という。
 日本の職人のわざに、ストックホルム大学側も感嘆していた。むろん、私は日本の匠(たくみ)の技に感動したのだった。

    おさ【筬】織機の付属具。タテ糸の位置を整え、ヨコ糸を織り込むのに用いる。
     竹の薄い小片を櫛の歯のように列(つら)ね、長方形のワクにいれたもの
    (竹筬)であったが、今は銅または真鍮の偏平な針金で製したものを多く用いる。

 「広辞苑」の説明。これだけの説明で、執筆者の苦心がよくわかる。ただし、一読してすぐに「おさ」の形状がわかるわけではない。竹ベラの片面を櫛の歯のようにして、糸をしごく道具と説明したほうがわかりやすい。
 一つ、勉強になった。さらに、「広辞苑」の説明で、別の項目、「おさ」の意味を知っ
た。

   おさ【訳語】外国語を通訳すること。また、その人。通訳。通事。通弁。〈霊
   異記(上)訓釈〉

 私は、翻訳家のはしくれだが、通訳はできない。通訳めいたことは何度か経験したが、いつも冷や汗ものだった。
 通訳を「おさ」というのか。「広辞苑」のおかげで、また一つ、勉強になった。

2017/02/13(Mon)  1707
 
 夜、テレビ。リ−マン・ショックで失業し、YouTubeで日本の椎茸栽培に関心をもっているアメリカのオジサン、ジェレミ−・マックアダムズ。現在、栽培の原木2000本で、ささやかながら椎茸を近隣にひろめようとしている。テレビ東京の番組が、このオジサンを日本に招待する。日本の椎茸栽培で10年連続で農林・水産大臣賞を受けた大分の農家、小野 九州男さんに紹介する。小野さんの栽培の原木は3万5000本〜4万本。春秋に収穫して、最高の品質の椎茸は、2万円の高値で売られている。オジサンは実地に小野さんの指導を仰ぐ。
 ポ−ランドで弓道の修行をしている女子大生を招待したり、アメリカで錦鯉を飼っている女子高生を招待して、新潟の業者の鯉の飼育を見学させたりする番組で、私は毎週この番組を見ている。今回も、原木を立てた椎茸栽培で、自然光をいかに採り入れるかを体験するために、杉の枝を間引いて光を調節するなど、日本人の知恵を惜しみなくアメリカの農家のオジサンに教えている。日本の伝統や文化が、こうしたかたちで外国人に理解されてゆくことに感動した。
  (16.10.28/金)

2017/01/23(Mon)  1706
 
 俳優、平 幹二郎が亡くなった。享年、82歳。自宅の浴室で倒れたという。
 ヒラミキは「俳優座」の養成所で私のクラスに出ていたので、その頃から知っているが、仲代 達矢ほど身近にいたわけではない。後年の「鹿鳴館」や、「王女メディア」などは見ているので、いい俳優だと思っていた。
 演出家の蜷川が亡くなって、ヒラミキが亡くなった。私はまったく無関係な世界ながら、うたた感慨を催す。

 「やっぱり長生きするってスゴいことなのよ」と、家人がいう。
 「そうかも」と私は答える。お互いに、ヨタヨタしている老夫婦の対話。

 夜、平 幹二郎の出ているDVDを見たかったが、一本ももっていない。その代わりというわけではないが、「SMASH」9話、「Hell on Earth」を見た。私の好きなシ−ンを。
 舞台で失敗した「アイヴィ−」を追って「カレン」がブロ−ドウェイの雑踏を行く。

 ふたりがジンを飲んで、ほろ酔いで、ブロ−ドウェイの雑踏のなかで歌う。私が、いちばん好きなシ−ン。

 あの雰囲気が、かつて「俳優座」養成所のあった六本木に似ているのだった。あのブロ−ドウェイの雑踏も、「アイヴィ−」や「カレン」のようにまだ無名の女優たちがあふれていた宇田川町界隈に似ているような気がして。

 いつの時代でも、芝居の世界は「Hell on Earth」なのだ。

2017/01/09(Mon)  1705
 
 いよいよ最後に、ベスト・スリ−。

 (3) 松茸の土瓶蒸し  在日外国人がもっとも気に入った日本食のベストテンに、カツオのたたきを選んだことに、私は感動した。
    そして、三位に松茸の土瓶蒸しを選んでいる。戦後、外国人の日本理解がここまで到達しているのは驚きだった。
    しかも、出汁はカツオ、という。

 (2)栗ごはん  栗ヨ−カンもあわせて。ようするに、クリが好きということだろう。パリで食べた石焼きマロンもおいしかったが、外国人が栗ごはんをおいしいと思うのは、まぜごはんをおいしいと思う味覚のせいだろう。もう少し時間がたてば、「落ち栗や明日は秋なき山の鐘」(多代)とか、「落ち栗をひろうて近く乳母が里」(まさ子)といった風情も理解してもらえるかも知れない。
    もっとも、それより早く日本人のほうが、そんな心情を理解できなくなっているだろう。ハロウィ−ンに仮装をして渋谷にくり出す群衆の雑踏をみれば、私のいいたいことは想像できるだろう。日本人の「オバケ好き」はおもしろいが、ことのついでに、(栗ヨ−カン)のTreat(おもてなし)でもしてやったらどうだろうか。

 さて、いよいよベスト・ワンが登場する。

 (1)サンマの塩焼・大根おろし  サンマにフリ塩。浸透圧でうまみが出る。今年は夏の異常気象や、中国漁船の乱獲の影響で、サンマも不漁だったらしい。おかげで、こちとら庶民はサンマもろくに食べられなくなっている。それでも、外国人が大根おろしでサンマをいただくなんざ、外国人も和食の魅力に気がつきはじめた、どころではない。えらくイキな話だねえ。

 このリストを見ていて、つくづく私は日本人でよかったなあ、と思う。

 ただし、まだ外国人の手の届かない食べ物があるらしい。たとえば、

    アンコウの味知らぬなり フグト汁    つた女

2016/12/28(Wed)  1704
 
 在日外国人に簡単なアンケ−ト形式で、気に入った日本食のベスト・テンを選んでもらうテレビの企画。そのベスト・トウェンティ−に興味をもったので、かんたんなコメントをつけて書きとめておく。これから、ベスト・テン。

 (10) 焼きイモ  草箒で落ち葉を掃く。いくらかうず高くつもった落ち葉のなかに、サツマイモを2.3本、投げ込んで、火をつける。「煙らせて炊き捨てしワラや今朝の冬」(つた女)。ホコホコした焼きイモができている。今はもうそんな風景もみられなくなった。

 (9)牡蠣  パリ。ヘミングウェイ、フィッツジェラルド、あるいは、アナイス・ニン、ヘンリ−・ミラ−の描いたパリ。私の知っているパリは――現在のように、高層ビルが立ち並ぶプラス・ディタリーや、戦後の大統領の名をいただいたヴァンサン・オリオ−ルの高架線のシュヴァルレ、ナショナルの新しいビジネス街のパリではない。パリは変わった。だが、かわらないものもある。
    カキ。ノルマンデ−のカキが壊滅的な被害をうけたとき、日本からヒロシマのカキが送られたことを思いだす。

 (8) 焼ナス  長ナスの漬物が好きだが、焼ナスはあまり好きではない。「秋風に花の散りける茄子かな」(とき)。赤ミソが好きだが、白ミソはあまり好きではない。何か関係があるのかな。

 (7)イクラ  スジコのほうがいい。むろん、バラバラのイクラも好きだが、スジコを口に入れて、スジの部分から粒々をしごき落とすのがいい。粒々だけなら、キャビアのほうがいい。

 (6)里芋の煮物  子イモの六方剥き、火にかけてアク抜き。ミソ汁はマゴイモを選ぶ。キヌカツギもおいしい。

 (5) ぎんなん  土瓶蒸し。いろいろな具のなかにいて、ギンナンは、翡翠だったり、トパ−ズだったり。

 (4)カツオのたたき  それも、9月の戻り鰹、ワラで焼いたもの。在日外国人がもっとも気に入った日本食のベストに、カツオのたたきを選んでいる。このことに私は感動した。

2016/12/22(Thu)  1703
 
 ブログを書く気にならない。何か書いても、どうもおもしろくない。      
                                      
 何を書いてもおもしろくないときは、どうすればいいのか。          
                                      
 対症療法は、いくつもある。                        
 おいしそうなことを書けばいい。あとになって、読み返す楽しみが生まれるかも知れないから。                                
 旅行者だけでなく、在日外国人に簡単なアンケ−ト形式で、気に入った日本食のベスト・テンを選んでもらうテレビの企画を見た。そのビリング、というか、ベスト・トウェンティ−を記述しておこう。逆順で。                  
                                      
 (20)ししゃも――これからの季節、酒の肴に最高だねえ。私は、大学の講義のあと、親友の小川 茂久といっしょに、駿河台下の居酒屋、「弓月」で、酒を酌み交わすのが習慣だった。お互いに何を語り合うわけでもない。親しい友人と酒を飲む。これほど楽しいことはなかった。小川は、いつも湯豆腐、私はシシャモときまっていた。

 (19)舞茸――マイタケにヒジキ、エダマメ、鳥肉のまぜゴハン。(好みによっては、エリンギも)これを、オニギリにする。味のベ−スは醤油。けっこうおいしい。「ハツタケの香に降り出すこさめかな」(智月)

 (18) おはぎ――オハギはどうして「おはぎ」なのだろうか。もともと萩のもちだが、接頭語をつけたのは、日本人のこころばえに違いない。多分。ボタモチが、もともとの牡丹餅の語感を失ったのと何か関係があるのか。私は、オハギが好きなのだが。

 (17)自然薯・とろろ――ヤマノイモ、ナガイモ、ツクネイモ。麦とろで有名な東海道、丸子宿のトロロを食べたことがあった。その後、鈴鹿のイセイモのトロロを食べて、鈴鹿のトロロのほうが、ずっとおいしい気がした。

 (16)サバ――サバは、おいしいサカナだが、カツオの生き腐れとおなじで、腐敗が早い。前の日に冷凍して、翌朝、新聞紙、ビニ−ルにくるんで、登山する。山頂で、これを焼いて食べるのだが、とてもおいしい。大根の切れっぱしか、ダイコンオロシももって行く。醤油はビニ−ルのフィルム缶に入れて。こんなコトも昭和の登山スタイルになってしまったなあ。

 (15) カボチャの煮もの――あまり好きではない。戦争が終わって、ひどい食料難がやってきた。田舎に買い出しに行ったが米が買えずに、カボチャを二個売ってもらった。そのときの苦い思い出がのこっている。

 (14)蓮根――私の大好きなテンプラは、レンコン。あるホテルのテンプラ屋に通いつめたことがある。私の顔を見ると、すぐにレンコンを出してくれるようになった。そのホテルのバ−に行くと、バ−テンダ−はきまってフロ−ズン・ダイキリを出してくれるように。

 (13) 鮭の塩焼き――今では、「お茶漬のもと」といった インスタント食材があるけれど、シャケの塩焼きはけっこう奥が深い。石狩川の河口の近くで、お婆さんが焼いてくれたシャケのおいしかったこと。

 (12)たきこみごはん――野菜でもサカナや肉、何でも炊き込みごはんは好き。ダイコンメシは、うれしくないけれど。

 (11)干し柿――柿の皮を剥き、ワラの紐に通して、軒(のき)に下げる。毎日、寒風にさらされているうちに、白い粉がふきはじめる。すっかり干し上がる前にもぎとって食べてみる。あまくなっている。母に叱られても、干し柿の盗み食いはやめられなかった。

2016/12/20(Tue)  1702
 
 今年の夏、ふと思いついて、エンリコ・カル−ゾ−を聞いてみた。(CARUSO SINGS AVERDI・RCA/BMG)100年も前の録音。メゾ・ソプラノは、エルネスティ−ヌ・シュ−マン=ハインク。カル−ゾ−はたしかに不世出のテナ−だが、今の私にはピンとこない。そこで、「トロヴァト−レ」を聞き終えてすぐに、おなじ「トロヴァト−レ」をプラシド・ドミンゴできいてみた。ズビン・メ−タ指揮。(RCA)やはり、圧倒的にドミンゴのほうがいい。とくに相手がレオンティン・プライスで、声の輝きがすばらしい。ついでに、ミルンズ、コッソットでも聞きなおしてみた。
 音楽の違いばかりではなく、カル−ゾ−とドミンゴを聞き較べる。カル−ゾ−とミルンズ、コッソットとドミンゴを聞き較べる。エルネスティ−ヌとコッソットを聞き較べる。こんなことが、いとも簡単にできてしまうことにいまさらながら感心した。

2016/12/09(Fri)  1701
 
 山口 路子は書いている。

    私はかつて『ルイ・ジュヴェとその時代』を噛みしめるようにして読んだ。

    もうそこには、「知」がぎっしりつまっていて、死ぬほど圧倒されたけれど、私
    にとってなにより魅力的だったのは、書いた人の、中田 耕治のジュヴェに対す
    る想いが、もう、ものすごく強かったこと、それがどのぺ−ジにも溢れていたこ
    と。

    圧倒的な知識にささえられた圧倒的な情熱。

 ありがとう、路子さん。

 きみが、ブログで私の『ルイ・ジュヴェ』を褒めてくれたとき、小笠原 豊樹(岩田宏)が亡くなった。ハンタ−・ディヴィスの『ビ−トルズ』を共訳しただけのつながりだったが、常盤 新平が亡くなったときとおなじように、追悼の思いが深かった。
 思い出したので、書きとめておくが――女優のアニタ・エクバ−グ、ルイ−ズ・レイナ−も、小笠原 豊樹の逝去の前後になくなっている。
 今の私にとっては、残念としかいいようがないのだが――澁澤龍彦、磯田光一、村松剛たち。尊敬する友人たちが、つぎつぎに白玉楼中のひととなった。そして、若い友人、吉沢 正英君(当時、「日経」論説委員)が亡くなったことは、私に大きな悲しみをもたらした。

 そして、いま、私は新しい「仕事」をこのブログで発表する決心をしている。

 11月5日、私をささえてくれた人びと、少数だが、私の「現在」に期待してくれている人びとに読んでほしいと思っている。

2016/12/02(Fri)  1700
 
 山口 路子(作家)が、ご自分のブログで、私の評伝、『ルイ・ジュヴェ』について感想を書いてくれた。もう、2年も前のこと。
 当時の私はこれを読んでうれしかったし、たいへんありがたかったのだが、お礼もいわなかった。もの書きになってから、自分の書いたものが読者に読まれるなどということが、いまだに信じられない。どうかしてほめられたりすると、うしろめたい気がしてならない。

 私がこんな評伝を描いた理由はいろいろあるのだが、その一つについて、ここで書きとめておこうか。

ジュヴェの同時代に生きて、彼の芝居作りをつぶさに見届けたピエール・シッズは、ジュヴェに徹底的な「アルティザン」を見た。ジュヴェの「演出」をささえていたものは、中世いらいの職人が身につけてきた心がまえのようなものと見たのだった。

 私が、ジュヴェを好きなのは、まさにこのところなのだ。ジュヴェは、芸術家としての自負はあったはずだが、実際の仕事、つまり舞台(イタ)の上では、いつも職人であろうとした。シモーヌ・ド・ボーヴォワールなどが、ジュヴェの悪口を書いているが、ああいうお利口さんには、ジュヴェのように、一つひとつ、小さなことに眼をくばり、実際に舞台で動いて、芝居をつくってゆく人間の苦しみも、よろこびもわかるはずがない。
 シモーヌの戯曲など、まったく血の通わない愚劣なものばかりだった。

 私は「戦後」からもの書きになろうと思ったひとりだが、もっとも早い時期にはじめて「ルイ・ジュヴェに関するノート」という評論を書いた。野間 宏が、雑誌に紹介してくれたのだった。むろん、まったく反響はなかった。

 当時の私は、ジュヴェの出た映画、とくに『女だけの都』(ジャック・フェデル監督)や『舞踏会の手帳』(ジュリアン・デュヴィヴィエ監督)のジュヴェの「演技」に関心をもった。ある俳優が、どうしてあれほどの迫力で、人間を表現できるのか、という、まことに単純な疑問から出発したのだった。
 映画を見るときに、映画評論家や、演劇史の研究者が映画を見る視点ではなく、そこで、「悪人」がどう表現されているか、ジュヴェという俳優の、静かで、ごく自然な「演技」がどうして、すさまじい迫力をもつのか。それを読者につたえるためには、批評の枠を越えなければならないかも知れないけれど、もの書きとしては、ぜひ手がけてみたいと思ったのだった。

 そのあたりから、私はジュヴェに対する関心をそだてて行った。あえていえば、ジュヴェにたいする信頼と友情とさえいえるものだったと思う。それは、私自身にたいする信頼とアミチエでもあったような気がする。
 私は、一時期、映画や舞台のための仕事、おもに舞台の演出を経験してきた。そして、挫折ばかりくり返してきたが、それでもジュヴェのことを忘れたことはなかった。

 ジュヴェの評伝を書こうと思ったのは、ずっと後になってからだった。あるジャ−ナリストの書いた評伝を読んだが、この評伝は劇作家、ジャン・アヌイとの対立、確執を中心にして、孤高の芸術家としてのジュヴェの肖像を描いたものだったが、私の内部にあるジュヴェとはずいぶん違う感じがした。これを読んだとき、私はジュヴェを描く必要があると思った。
 こうして書きはじめたのだった。

2016/11/13(Sun)  1699 私のキャサリン・マクフィー論
 
     【13】

 「ヒステリア」は、これまでの、キャサリンの「キャサリンらしさ」をかなぐり捨てて、あらたな表現に立ち向かおうとしている。私はそういうキャサリンをじゅうぶんに認めながら、ここまでの自己否定は、むしろ不自然にヒステリックではないか、と見た。

このアルバムは、アーティストとしてのキャサリンの成熟を示しているのか。しかし、さして成功したとはいえないのではないかと思う。私は、このアルバムにあらわれたキャサリンのいちじるしい「変貌」にただただ驚いているのだが。
 その歌詞や、ヒステリックな叫び、ほとんど収拾のつかない焦燥、不安の中に、私はキャサリンの孤独を聞く。

 最後に、キャサリンが書いた献辞を紹介しておこう。
 キャサリン自身が「SMASH」で傷ついたことは、この「献辞」にもよくあらわれていると思われる。

 (私は、かつて「Unbroken」や「クリスマスはアイ・ラヴ・ユーをいうとき」の、キャサリンの献辞を紹介している。これと比較してみれば、あのイノセントなキャサリンは、もはやどこにもいないことがわかるだろう。)

 「私が音楽活動をせずに、ほかの分野で仕事をしていたり、このレコード作りに専念していた時期にみなさんが私をささえ応援してくださるのを感じていました。
 まず、個人的に感謝したいのは、このレコードの企画、製作、エグゼクティヴ・プロデューサー、テレサ・ホワイト。私の人生の21年半を通じて音楽的に助言してくれたばかりか、むずかしい時期にも親友として元気づけてくださって、どんなに助けられたか。自分でも想像以上にいいソングライターに育ててくださったわ。あなたが作詞という世界に私の背中を押してくれたから、いまの私は作詞が好き。イサ・マシンに。あなたは、ほんとうに特別な経験をさせてくれて、大きな創造をさせてくれた。
 ケリー・シーハンに。あの夏、毎日一緒になってくたくたになるまで仕事をしたわね。ロンドンに行ったり、たくさんの才能のある人たちに紹介してくださったことは忘れないわ。トニー・マセラティニ。このレコードのミックスを担当してくれたあなたがた以上のスタッフはいないし、最高のスタッフに恵まれた私は運がよかった。このレコードを出してくださったキャリア・アーティスト・マネージメントのみなさん、WMEのニック・コカス、ゲイル・ホルコム、eONEに感謝。何よりもまず私という人間を助け、関心をもってくださったことに。そして、いつも援助してくれた人達に感謝。人生でこんなにすばらしい人たちにめぐり会えたことに心からありがとう。」

 少女時代、17歳のマリリン・モンローは、痩せッポチで、ヒョロヒョロしていたので、「人間マメ」(ヒューマン・ビーンズ)というアダ名がついた。17歳当時のキャサリンは、思春期にありがちな精神的な不安から過食症になったらしい。
 私はこんなエピソ−ドに注目する。
 こうしたエピソードは――キャサリンの少女期における自意識と、その後のパースナリティー、女優としての成功をめざしてかけ上がって行ったキャサリンの内部にひそむ、ある否定的な自己観 Self=conception の関係を暗示しているような気がする。あのマリリンの場合がそうだったように。

 このアルバムを探して、私に贈ってくれた田栗 美奈子に心から感謝している。きみは最近の私が何も書かなくなっていることを気にかけてくれたのだった。
 きみのおかげで、ささやかながら「キャサリン・マクフィー論」めいたものを書くことができた。
 現在のポップスの世界もよく知らない人間が、その先端に立っているア−ティストについて語るのは無謀だが、私があえてキャサリンに対する批評を試みたのは、きみのひそかな慫慂にこたえるためでもあった。キャサリンの献辞の一節にあったように――「何よりもまず私という人間を助け、関心をもってくださったことに」心からありがとうと申しあげたい。

2016/11/05(Sat)  1698 私のキャサリン・マクフィー論
 
     【12】

 「ヒステリア」のキャサリンは「みずからの危機を表現している」といったが、彼女のなし得たことは、別のいいかたをすれば、ポップスという形式の極限を表現しようとしている、ということ。
 むろん、ほかのシンガ−で、芸術家としての限界に達して、そこからの脱出をめざした例はめずらしくもない。

 エディト・ピアフ、ロックのニコ、さらには、マリアンヌ・フェイスフル。あるいは、香港のアニタ・ムイ。それぞれが、アーティストとしてどんなに悲劇的だったか。
 私は、「ヒステリア」のキャサリンもまた、ピアフ、ニコ、マリアンヌとおなじような「危機」を経験していると思う。

 もっとほかの例をあげれば、エラ・フィッツジェラルド、ジーン・スタッフォード、それぞれ危機を克服できずに去って行ったおびただしい才能たち。
 ドリス・デイ、ジュディ・ガーランド。テレサ・テン、フェイ・ウォン。
 映画での成功と逆比例するように、自分のポップスがかなり急速に下降して、突然、この世を去ったホイットニー・ヒューストン。1999年、16歳で登場、その後、グラミー賞・最優秀楽曲賞など5冠に輝きながら、アルコール、薬物に溺れ、スキャンダルの報道に傷ついて、27歳の若さで急逝したエイミー・ワインハウス。
 数多くの、いたましいアーティストたちの姿が私たちの記憶にある。

 彼女たちは、純粋に声の世界で、いだいな先人たちに類比できる歌を成就しようと考える。克服しようとする意志。創造しようとする渇望。先輩の達したところを越えて、傑出した存在に匹敵しようとするあくなき意欲。
 さまざまな欲望と犠牲。旋律の勝利と災厄。
 問題が自分にとって明瞭になればなるほど、それを解決しようとする努力、その手際と葛藤がいたましく見えてくる。
 このアルバムで、手さぐりの状態で、闇のなかを歩もうとしているキャサリンの勇気と高雅に感嘆する。

 20世紀末に登場したシャンタール・クレヴィアザークは歌った。

     愛が、あなたが生きるために必要なすべてなら
     愛は、わたしがあたえなければならないすべて
     すべてをささげます    「ラヴ・イズ・オール」

 ジョーダン・ヒルは、「ファースト・アルバム」の最初の曲で、

     ここに、私のハートがあるわ、わたしの魂が
     ほしかったら、うばっていいわ
     でも、放さないで
     だって、私のすることなすこと
     あなたへの愛のためだから

 メジャは、「ファースト・アルバム」で「アイム・ミッシング・ユー」と歌う。

     あなたの愛がなつかしい、だってあなたは 去ってしまったから
     どうせ このままつづくはずもなかった
     夏空なんかなんの意味もないわ
     わたしはいつもつよいと思ってきたわ
     自分の内部にあふれてくる思い
     それがわたしのハートを泣かせるの だって

     あなたに会いたいから
     あたしは落ち込んでいるわ
     さみしいから

 ブリトニー・スピアーズは、「サーカス」の「イフ・ユー・シーク・エミイ」If U Seek Amy で、「あなたが憎い、あなたが好き」という。

 キャサリン・マクフィーは、このalbum の最後で「ドント・ニード・ラヴ」(「愛なんかいらない」)という。
  私はなぜか胸を衝かれた。

 キャサリンが、徹底的に「SMASH」のイメージ(「カレン」)を消しているのは、それほどにも深く傷ついたからではないか。

 このアルバムを聞いていると、芸術家は、きわめて不利な条件においても、みごとにはたらく詩的な才能が必要なのだ、ということを感じさせてくれる。このアルバムの全曲が、キャサリンの作詞、または、キャサリンの参加によるものということにおそらくかかわりがある。

2016/10/31(Mon)  1697 私のキャサリン・マクフィー論
 
     【11】

 「唇舐めて」(LICK MY LIPS)は、若い娘のエロティックな感情の起伏。「ブレイク」(BREAK)は、傷心を訴えるあまやかなファルセットがすばらしいが、最後にBreak Downするかのように、ブツッと終わる。なぜか、キャサリンの内面にひそむ緊張がまざまざとつたわってくる。いい例が、(7)「アペタイト」のラストで、重苦しいオルガンの重低音がワーッと迫ってくる。
 キャサリンは、こうした曲で、自分の気分や思想の、ひそかなニュアンスをつたえようとしているのだろうか。「ブレイク」(BREAK)「ダメ−ジ・コントロ−ル」といったタイトルも、あきらかに「現在」のキャサリンの内面を物語っている、(作詞はイザベラ・サマーズと合作)。まさしく、キャサリン・マクフィーの「現在」がここにある。

 「SMASH」とはまったく関係がないのだが、(8)ROUND YOUR LITTLE FINGER(作曲・クリストファー・ブレイド)は、失恋の歌。愛する相手が自分に怒りをもっていると知って、「忘れないで、愛する人」と切々と訴える。スキャットからハイ・ソプラノまでの音色の変化が大きく、キャサリンの傑作と見ていい。

 愛の終わり。しかし、最後の曲、(12)「愛なんかいらない」DON’T NEED LOVE(作曲・イザベラ・サマーズ)になる。

 キャサリンは、このアルバムでみずからの危機を表現している。
「ヒステリア」の響きのconstructionがふつうのポップスといちじるしく違っている。
 はっきりいって、無惨なほど孤独な姿をさらけ出している。この「修羅」こそが「ヒステリア」の最大の魅力なのだ。
 それはいい。問題はその先にある。

 私は、「ヒステリア」にキャサリン・マクフィーという芸術家の「危機」を聞く。
 たえずつづく孤独のなかで崩れそうになり、自己崩壊につながるようなピンチのなかで、女としての魂をふりたたせ、「Damage Control」のプロセスを刻みつけようとしている。ダメージを内面でコントロールしようと努力することで、キャサリンは、みずからの危機を表現している。そのあたり、ほとんど比類のない芸術家なのだと私は考えるのだが。

2016/10/23(Sun)  1696 私のキャサリン・マクフィー論
 
     【10】

 このアルバムの全曲、作詞にキャサリン・マクフィーがかかわっている。これまでの作品とちがって、このCDはアーティスト、キャサリン・マクフィーのあたらしい出発と見ていい。
 初期の「Unbroken」(全13曲)も、半数はキャサリンの作詞、または参加曲だったから、「ヒステリア」の全歌詞を書いた(または補作した)としても不思議ではない。
 キャサリンらしい歌としては、(4)の「STRANGER THAN FICTION」からがいい。「私は気がついたわ、後悔していない」という。つぎつぎに「I FOUND……」というフレーズで、自分の孤独な心情を確認してゆく。
 作曲は、「SMASH」の「ファースト・シーズン」(第8話)の「タッチ・ミー」の作曲者(ライアン・テダ−/プロデュ−ス)だった。(ドラマでは、「ボムシェル」の演出家が、「マリリン」のエロティシズムを強調するために、新しい作曲家に依頼して書かさせた新曲で、キャサリン・マクフィーの歌と、猟奇的なダンシングが、エロティックに表現されていた。

 「タッチ・ミー」は、中国ポップス、チベットの歌姫、ダダワの歌に出てくる仏教の声明(しょうみょう)のような連祷(リタニー)がつづく。曲のト−ンは、ブリトニー・スピアーズの(アルバム「サーカス」)の「アムニジア」(記憶喪失)に近い。
 (この「タッチ・ミー」の作曲家、ライアン・テダーただひとりが、「ヒステリア」の「ストレンジャー・ザン・フィクション」の作曲家として起用されていることは興味深い。)

 キャサリンは、アルバム「ヒステリア」で自分が変わらなければと感じていたはずである。だからこそ、ファンがこれこそキャサリンらしい歌と思っている曲は歌わない。
 それもこれも、ひとえにキャサリンが内省的で理知的な女性で、感受性のつよい性格だからだろう。表紙のトリプレックスの「ナゾ」のひとつは、私にはそう読めるのである。

 「ヒステリア」は、過去の自分を一挙に変えようとする果敢な試みだった。

 ただし、「ヒステリア」の弱点は、「SMASH」と、自分のめざすミュージックへの志向の、あまりに大きな乖離に根ざしていると思われる。

 ここまで――私は「ヒステリア」が、キャサリンのどうしても妥協のできない、ぎりぎりの選択であることを認めながら、芸術家としては、むずかしい場所にわれから自分を追い込んだような気がしている。
 新しい領域を手がけようとするキャサリンの意欲のはげしさと、そのために「SMASH」のイメージを必死に消そうとしている姿勢。私は、ここにキャサリンの芸術家としての誠実と危うさを見る。

2016/10/13(Thu)  1695 私のキャサリン・マクフィー論
 
      【9】

 「ヒステリア」、全12曲。

 最初聞いたときは驚いたが、もう1度聞き直して、あらためてキャサリンの志向が見えてくるようだった。

 表題の「ヒステリア」は、熱帯のタムタムのようなドラム、明るいメキシカン・リズムなのに、ひどく暗い感じ、空虚さ、不吉な感じがある。あきらかにキャサリンの内面を物語っているのだが、それにしても「SMASH」の「カレン」とはなんという違いだろう。(作詞はイザベラ・サマーズとキャサリンの合作)。オープニングから「Insane」というフレーズがくり返される。

 キャサリンは自分の内面にきざしている「狂気」をさらけだす。
 それが何なのか、私にはわからない。しかし、自分でもどうしようもない、なにか特殊な考えや観念にとり憑かれて、それが創作につながるのは、すぐれた芸術家においてはめずらしいことではない。しかし、ポップスの世界で、これほど率直に「狂気」を訴える例があったろうか。
 キャサリンは、そこまで自分を追いつめている。と同時に、その苦しみかたは、ポップスという表現形式のなかでは、ドラマティックなほど誇張されている。
 最初の3曲、「ヒステリア」、「羽」、「燃える」は、キャサリンの美しい声、のびやかなファルセット、そして緩急自在なバイブレーション。狂躁。
 ほとんど熱狂的な感じで、強迫的(コンパルシヴ)に流れる緊張と不安。
 キャサリンが、ラテンリズムにつよい関心をもっていたとしても意外ではないが、この「ヒステリア」で、ラテン・テイスト、とくに強烈なメキシコのリズムをトップにもってきたのは意外だった。

 「羽」もラテン系、リズミックで、人生はもっとベターなのに、といいながら、どこかたよりない。「燃える」は、自分は「燃えつきない」といいながら、歌の途中で、モノローグめいたウィスパーで「囚われの女」といった状況が挿入され、しかも遠雷のサウンドトラックが不安をかきたてる。

 この3曲でキャサリンは、われからヒステリー状態に自分を追いつめている、乃至は、ヒステリーに逃げ込んでいる、そんな印象をもったのは私だけだろうか。キャサリンの天分の豊かさは大いに認めるけれど、この3曲には、キャサリン自身の疑いや、苦しみ、ためらい、不安が潜在しているような気がした。

 キャサリンは、このアルバムでみずからの危機を表現している。そのことにおいて、ほとんど比類のない芸術家なのだと私は考える。
 たとえば、八代 亜紀が「涙酒」でヒットを出したあと、しばらく停滞をつづけた。あるいは、藤 圭子の悲劇もまた、みずからの危機とその破綻の例だろう。

 私はキャサリンもまた、おなじような危機をむかえているような気がする。

 キャサリンは「SMASH」で歌ったバラード、アップテンポのトーン、あえかなリリシズムを「ヒステリア」では徹底的に排除している。それは、このアルバム、「ヒステリア」にかけたアーティストとしての自負、ないしは見識と見ていい。
 これほど徹底的に「SMASH」のイメージを消そうとしている姿勢には、どうしてもオブセッシヴなものを感じてしまう。このこだわりは、やはり「SMASH」の「カレン・カートライト」の全否定というべきだろう。
 キャサリンは、「SMASH」で、「カレン・カートライト」という女優、ミュ−ジカル・スタ−の役を演じた。そして、決定的に成功した。
 ふつうなら、新作のアルバムの「音楽性」に、「カレン」的なバラードをとり入れても不思議ではない。ところが、これまでの、キャサリンの「キャサリンらしさ」をかなぐり捨ててまで、あらたな表現に立ち向かおうとする。これほど徹底的に「カレン」的な「音楽性」を峻拒するのは、それこそヒステリックな自己否定と見ていい。
 私は、それを不自然なまでにヒステリックではないか、と見る。

 ここまで、(いわば赤裸々に)自分の不安や、いらだち、焦躁感、あるいは抑鬱感をさらけ出すというのは、アーティストとしてめずらしいほどの強迫(コンパルシヴネス)で自分を追いつめているからではないか。
 おそらく、キャサリンは深く傷ついているのだ。

 このアルバムには、そうした二律背反めいたあやうさがある。

2016/10/04(Tue)  1694 私のキャサリン・マクフィー論
 
     【8】

 まず、アルバムの表紙に驚いた 。

 たいていのアルバムは、アーティストの美しいフォト、おもにポートレートが提示される。マドンナ、マライア・キャリー、シャーリーズ・セロンなどのCDを手にしたとき、私たちは、そのアーティストの表情や姿態と、裏にならべられたタイトルから、その内容を読みとろうとする。

 女性シンガ−のアルバムが、ことさらにエロティックな暗示であることもめずらしくない。例えば、サラ・ブライトマンの「DIVA」は、肩をむき出しにしたサラの横顔のクローズアップだが、現像の途中でフィルムに一瞬、光を当てて、像を反転させソラリゼーションになっている。そのため、サラのエロティックな魅力をうったえかける強烈なポートレートが表紙になっている。そればかりではない。解説にも、サラのほとんどヌードにちかいカットがちりばめられている。

 私たちにとって、CDの表紙は、自分が関心をもったシンガ−をもっと良く知りたいという最初のコミュニケ−ションの手段なのだ。アルバムを手にした瞬間に、そのシンガ−に対する好意、アフェクションがきまるといってもよい。日常の私たちが女性に惹かれるのは、彼女の口のききかたや、ことば遣いなどによるが、CDを買うという関係でも、まず最初のアイ・コンタクトは重要なのだ。

 キャサリンのアルバムに使われた写真は4枚。
 表紙の1枚――「キャサリン」は、からだにぴっちりしたデザビエ(部屋着)を身につけてベ−ジュのベレをかぶってフロアに腹這いになっている。だが、背中を大きく露出している。ただし、片方の乳房を露出しているように見える。じつは、二重焼き付けによる錯覚なのだが、むろん、エロティックなものを暗示している。もっとよく見ると、腹這いになっているキャサリンにかぶって、キャサリンの顔がぼんやりと浮かんでいる。
 私は驚いた。ここに、キャサリンの「現在」が隠されている。
 しかも、よく見れば、なんと腹這いのキャサリンの左肩から乳房(に見える部分)が、これまたキャサリンの横顔なのだった。
 つまり、この表紙には――まるで「だまし絵」(トロンプ・ルイユ)のように、キャサリンの顔が三つ隠れている。
 腹這いのキャサリン、もっと大きいキャサリンの顔、もっと小さい横顔が、三重に重なって浮かびあがっている。バックは、無造作に塗りたくった赤、グリーン、黄色のポスターカラー。

 2ペ−ジ目は、まったくおなじポーズだが、肩をむき出しにしたアンダ−姿のキャサリンが、横顔をこちらに向けている。誰かに声をかけられて、ちょっと横に顔を振り向けた感じ。その流し目の妖艶なこと。下の部分に LICK MY LIPS〔唇を舐めて〕というなぐり書き。

 ウラ表紙(3ペ−ジ目)は、左手をかるく肩にあててその肩越しに横顔をみせているキャサリン。顔以外に、「HYSTERIA」というタイトルが、赤、青、黄色のポスターカラーで書きなぐってある。

 このなぐり書き(スカラボッキャ−レ)は、むろんキャサリンによるもの。
 うまく説明できないのだが――(2012〜13年頃、資生堂の雑誌、「花椿」で、写真家の荒木 経惟が、自分の撮影したモデルの顔や背景に、べたべたと絵の具を塗って発表した。あれと似た写真表現と見ていい。)

 キャサリンの容姿、表情の変化も驚くべきものだった。
 このトライナリ−(三つから成る)イメ−ジは何なのか。(今すぐには思い出せないのだが、アメリカのポップスで、女性シンガ−の誰かのアルバムで顔が二重焼き付けになっていたのがあった。しかし、そのアルバムはキャサリンの「ヒステリア」ほどエニグマティック〔謎めいた〕ではなかった。)

この表紙を選んだのは、当然キャサリン自身だろう。キャサリンは、あきらかに何かを訴えている。
 このトリプレックス(三重)イメージにこそ、キャサリンの「現在」がある。「ヒステリア」はその複雑で異様なヴィスタを物語っている。

 比喩的にいえば「SMASH」の「カレン」は、「キュ−ティ−・バニ−」の「ハ−モニ−」ではなかった。
 おなじように、「ヒステリア」のシンガ−は、すでにして「SMASH」の「カレン」とは似ても似つかぬキャサリンなのである。そういう意味で、このトリプレックス(三重)は、キャサリンの過去、現在、そして未来なのかも知れない。
 あるいは、「現在」のキャサリン、サブ・リミナル(潜在意識)のキャサリン、そして「狂気」と反復強迫の境界領域にあるキャサリンなのか。

2016/09/28(Wed)  1693 私のキャサリン・マクフィー論
 
      【7】

「ヒステリー」というタイトルのアルバムなど、聞いたこともなかった。

 ヒステリーは、精神的な不安や、内面の葛藤(コンフリクト)が、自分でも抑えきれなくなって、そのままからだの病的な症状としてばげしくあらわれる状態。サイコパシイ。ヒステリ−状態になると、はげしい痙攣を起こしたり、過呼吸や、幼児化といった現象が起きるらしい。普通は女性に多く見られるのだが、性的なヒステリアは、個人の性生活にかかわるコンフリクトの結果による。
 ヒステリアということばは、ギリシャ語で子宮を意味するフステリコスに由来する。古代ギリシャ人にとって、女の性生活はヒステリアという副次的なフラストレーションを含意していたためらしい。
 このCDには、キャサリンの精神的な不安、葛藤が、自分でもどうしようもない状態として表現されている。
 もともとヒステリーは、比較的、小さなProvocationに対する過剰に暴力的な反応だろう。たとえば、学校の授業がおもしろくないという理由で不登校や投身自殺をする少女は、ヒステリーと見ていい。

 キャサリンの「ヒステリア」は、こうした「ヒステリー」の不条理を主題にしている。

 全12曲。

2016/09/19(Mon)  1692 私のキャサリン・マクフィー論
 
       【6】

 「キューテイ・バニー」から5年後。
 キャサリンは、スティーヴン・スピルバーグ・プロデュースのTVミュージカル、『SMASH』に主演する。
 TVミュージカル、『SMASH』については、別に書いたことがあるので、あらためてくり返さないが、『ヒステリア』批評のために、最小限、言及しておく。

 2013年、スティーヴン・スピルバーグ・プロデュース/総指揮のTVドラマ、『SMASH』は、視聴者が毎回1千万人を越えたという。ハリウッドのアイコンだった女優、「マリリン・モンロー」の生涯をミュージカル化して、ブロードウェイで上演しようという企画。このミュージカルに、彗星のように登場した女優が、キャサリン・マクフィーだった。日本でもこのTVミュージカルは放送されたが、ほとんど反響はなかった。

 このミュージカル、「ボムシェル」(「爆弾」という意味)の主役、「マリリン」をめぐって、ふたりの新人女優、「カレン」と「アイヴィー」が熾烈な競争をくりひろげる。この舞台化をめぐって、劇作家、作曲家、プロデューサー、演出家、出演者を巻き込んでのさまざまな葛藤が描かれる。(原案は、テレサ・リ−ベック。)

 うだつのあがらないコ−ラスガ−ル、「アイヴィー」を演じた女優、ミーガン・ヒルティーは、実際にはブロードウェイ・ミュージカル、『ウィックド』に主演したほどの舞台女優。これに対して、キャサリン・マクフィーはブロードウェイをめざしている無名の新人女優、「カレン」を演じた。

 アメリカでは「SMASH」(「シーズン1」)が成功した。 このため翌年、「セカンド・シーズン」が登場した。ただし、この「シーズン2」は、ストーリー・ランナーの交代、プロデューサーがあらたに起用されたこともあって、最初から視聴率が伸び悩んだ。観客の共感を呼ばないストーリー展開、さらにキャサリンの身辺をめぐるスキャンダル報道などの原因で、視聴率は最後まで回復できなかった。

 「SMASH」「シーズン1」に出たばかりのキャサリン・マクフィーは――「このドラマへの出演は私にとって大きな飛躍になる」と語った。そして成功した。
 しかし、「シーズン2」のキャサリンは、心ないジャ−ナリズムに スキャンダルを書き立てられて、ひどく傷ついたのだった。マリリンのように。

 「SMASH」「シーズン2」のフロップは、キャサリンの責任ではない。ただ、「SMASH」の成功と失敗は、それ以後のキャサリンに大きな影響をおよぼしたのではないか。

 そして、2015年、キャサリン・マクフィーの新作「ヒステリア」が登場する。

2016/09/12(Mon)  1691 私のキャサリン・マクフィー論
 
     【5】

 シンガ−として成功する一方、女優としての活動もめざましい。
 2007年、映画、「パラマウント・ガール」に出演。おなじく、ミュージカル映画、「クレイジー」に出演している。

 ただし、私がキャサリン・マクフィーを見たのは、残念ながら「キューティ・バニー」(原題The House Bunny/フレッド・ウルフ監督/「ソニー」2008年)だけだった。映画としてはまったくの駄作。どうしようもない駄作だが、こういう駄作に出ていながら、あくまで女優としての輝きをはなっていた。つまり、女優、キャサリンを知るうえでは見ておいたほうがいい。
 「バニー」というタイトルは、男性向けのスリック・マガジン、「プレイボーイ」のオーナー、ヒュー・ヘフナーのマンションで、優雅な暮らしをしている「バニーガール」をさす。かつては飛ぶ鳥も落とす勢いだった「プレイボーイ」のオーナー、ヒュー・ヘフナー自身が出てくるオバカ映画。
 映画の主演兼プロデューサーは女優、アンナ・ファリス。
 タイプとしてはゴールディー・ホーンによく似た喜劇女優だが、ゴールディー・ホーンの天衣無縫な魅力はない。この映画に出たあとすぐに消えてしまった。

 映画の「ハーモニー」(キャサリン)は、頭がカラッポで、大学で寮生活をしているうちに妊娠した女子学生。大きなオナカをかかえて、おヘソをだして、キャンパスをねり歩いている。(キャサリンは、ラテックス製の装具をオナカにつけている。これは別の映画でニコール・キッドマンが使ったものという。)オバカ映画で妊娠した女子学生「役」なんか、若い女優としてはうれしくなかったはずだが、まだ無名だったキャサリンは、こんなバカ映画でも、ハリウッドに進出するためには大きなチャンスと見たに違いない。台詞も少ない役だが、後年のキャサリンを予告するような瞬間がある。よく見ればわかるのだが、キャサリンは、感情の微妙な表現や、心理的な「アンブロークン」(不屈さ、不壊(ふえ))な真実をきらりと見せている。
 「ハーモニー」は歌がうまい女子大生。この映画で、マドンナの「ライク・ア・ヴァージン」を歌う。ただし、キャサリンはマドンナをそのままカヴァ−しているのではなく、たくみに女子大生、「ハーモニー」の表現にしている。(香港ポップスのダイヤオが、デビュ−・アルバムで、山口 百恵の「夢先案内人」を北京語でカヴァ−しているが、キャサリンのマドンナのほうがずっといい。あるいは、「恋する惑星」(「重慶森林」)で、 クランベリ−ズの「ドリ−ムズ」をカヴァ−した王 菲(フェイ・ウォン)の「夢中人」のすばらしさに近いといってもいい。)
 映画のラスト、「I Know What Boys Like」というテ−マ曲を披露するが、これもキャサリンの才能の片鱗をうかがわせるだろう。ただし、この映画のアッパラパ−女子大生から現在のキャサリンを予想した人は誰もいなかったに違いない。

2016/09/06(Tue)  1690 私のキャサリン・マクフィー論
 
      【4】

 シンガ−としてのキャサリンについてもうすこし見ておこう。

 2007年1月、RCAからデビュー。ファースト・シングル、「オーヴァー・イット」は、ポップス部門でトップ30に入った。これは、2010年12月までに、38万1千枚というヒットになった。
 つぎの「ハッド・イット・オール」は、ビル・ボード22位。2011年1月に4万5千枚。

 2010年10月12日、「クリスマス・イズ・ザ・タイム・トゥ・セイ・アイ・ラヴ・ユー」を出したが、これは、ビル・ボード、トップ・ホリデイ・アルバムになった。
 2011年1月に、ビル・ボード14位。2万3千枚。

 私は、この時期のキャサリンをどう見ていたのか。

 マライア・キャリー、ブリトニ−・スピア−ズ、アヴリル・ラヴィンといったシンガーなどと比較するわけにはいかない。さりとて、ほぼ同時期に登場したジョ−ダン・ヒル、メジャ、シャンタ−ル・クレヴィアザック程度のレベルのシンガ−ではない。はるかにぬきんでた才能だった。
 こういう私の見方を知ってほしいので(少し無理な比較になるが)しばらく前の中国ポップスでいえば――王 菲(フェイ・ウォン)や艾 敬(アイ・ジン)クラスではなく、このふたりに先んじて登場した陳 明(チェン・ミン)、あるいはふたりにつづく那英(ナ−・イン)のような存在とでもいおうか。
 ビンナン語系のシンガ−なら、潘 越雲、陳 淑樺などに対して一歩もゆずらないだろう。キャサリンはそれほどのア−ティストと見ていい。

 私は「オーヴァー・イット」より先の「ラヴ・ストーリー」をふくむアルバム、「キャサリン・マクフィー」や第二作の「アンブロークン」を聞いた。そして確信したのだった。
 私の見るかぎり――キャサリン・マクフィーは、おびただしい有象無象のポップ・シンガ−のなかで、自分の achievement に対する要求が高く、かつ、自分の仕事に対する recognition「個人的な承認」の要求も高いひとり。
 しかも、いつも自分の感情や情緒にまっこうから立ち向かう意欲をもつ。
 それが、キャサリンなのだ。

2016/08/30(Tue)  1689 私のキャサリン・マクフィー論
 
      【3】

 キャサリンがきわめて早熟だったことは、その才能の早い開花にあらわれている。
 2005年、地元、ロサンジェルスで公演されたミュージカル、「アニーよ、銃をとれ」に主演。LAステージ・オヴェーションの「ミュージカル主演女優賞」を受けた。

 私は、キャサリンが「アニー・オークリー」を演じたことに強い関心をもつ。

 説明するまでもないのだが、『アニーよ、銃をとれ』は、「戦後」(1946年)もっとも早く登場したア−ヴィング・バ−リンのブロ−ドウェイ・ミュージカル。
 オハイオ州の田舎育ちの少女、「アニー・オークリー」は、女だてらに銃の早撃ちの名人で、「バッファロー・ビル」のサーカスに入って、アメリカ各地を巡業した。このミュージカルは、(今にして思えば)女性に対する性差別や偏見をはね返しながら生きた女性を描いたフェミニズムの先駆けと見ていい舞台だったが――私たちはベティ・ハットン、ハワード・キール主演の映画で見ている。
 (『アニーよ、銃をとれ』は、もともとはジュディ・ガ−ランドの「アニー」で映画化される予定だったが、ジュディが体調を崩したためベティ・ハットンが起用された。女優、歌手としてむずかしい時期にさしかかっていたジュディは、これより先、「ブロ−ドウェイのバ−クリ−夫妻」でも降りたため、アステア/ロジャ−スに変更されている。この映画は、アステア/ロジャースのチームとしても失敗作で、日本では未公開に終わっている。)

 ベティの「アニー」は、まだフェミニズムなどどこにも見られない時代だっただけに、「男まさり」で型やぶり、やたらに奇嬌で攻撃的な女性に対する「じゃじゃ馬ならし」がテ−マと見えたが、無名女優といっていいベティ・ハットンが、それこそ体当たりの演技で「アニー」を演じてアカデミー賞/ミュージカル音楽賞〔1950年〕をうけている。
 2005年、キャサリンは「アニー・オークリー」で出発した。美貌のキャサリンが「娘役」(ジュヌ・プルミェール)をめざして出発したのは当然だが、「アニー」を演じたことから、二十代を通じて、あるレベルで一貫して「喜劇女優」(コメディエンヌ)として出発したことは幸運だったと考える。
 それと同時に、ミュージカル女優としてのキャサリンが、「ブロンド・ボムシェル」と呼ばれたベティ・ハットンに近い「攻撃性」(Agressiveness)を見せていたと想像する。

 キャサリンの「アニーよ、銃をとれ」は、現在のフェミニズムを背景にしていたはずで、「男まさり」の「アニー」ではなく、女としての自由と独立をめざして、そのぎりぎりまで張りつめた緊張を通して、あえてセックス・アピールを強調することを選ぶ少女として演じたと思われる。女としての欲求や願望、自分の夢を着実に実現しようとする「アニー」は、二十代に入ったばかりのキャサリンにとって、まさにフラワリング、あるいはブラッサミングというべき出発だったに違いない。(ついでにふれておくと、マリリン・モンローのミュ−ジカル、『ショウほど素敵な商売はない』のタイトル・ソングは、『アニーよ、銃をとれ』で使われているミュージカルの名曲である。)

 めぐまれた家庭環境で育ったため、キャサリンは自分にいつも自信をもって、より高い地位や、目標に達しようとする姿勢を身につけた。つまりは――「アニー」のはるかな延長線上に『SMASH』の「カレン」が立っていると見ていいのではないか。

2016/08/24(Wed)  1688 私のキャサリン・マクフィー論
 
      【2】

 キャサリン・マクフィーは、まだあまり知られていないので、まずそのあたりから説明しておこう。
 1984年3月25日、ロサンジェルス生まれ。父はTVプロデューサー。母は元シンガーだったが、キャサリンが芸能界に進出してから、「アメリカン・アイドル」のヴォーカル・コーチをつとめたという。
 シャーマン・オークスのノートルダーム高校を出た。天性の美貌、美声に恵まれた少女はボストン・コンサーヴァトリー(音楽学院/コンセルヴァトワール)のミュージカル部門に進んだ。これだけでも少女期のキャサリンがきわめて恵まれた環境にそだったことがわかる。
 はじめから芸能人たらんとする動機、自意識、さらには対人関係などにおいて、かなり違っていたはずである。ロサンジェルス生まれだったことも、ほかの地方在住で映画や舞台女優をめざす少女たちよりも、はじめからミュージカル女優をめざしただけに、早くから安定した職業的適応力をもっていたはずである。
 おなじロサンジェルス生まれ、たとえばマリリン・モンローと比較しても社交性をはじめ、心理的に人々の注目を惹くようなイニシァティヴな性格だったのではないか。

 キャサリンは、少女期から大きな才能に恵まれていたが、それだけに、ロサンジェルス育ち、ボストンでの音楽教育といった社会的、心理的な雰囲気が、キャサリンのアーティストとしての資質、ひいてはパースナリティー、その後の芸能生活に直接、かつ永続的な影響をおよぼした、と私は想像する。

       (イラストレーション 小沢ショウジ)


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