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中田耕治ドットコム とは

作家・批評家・翻訳家として、多彩な活動を続けてこられた中田耕治先生の「今」を
お伝えするサイトです。
パソコンとは無縁の師匠に代わり、有志数名が運営しています。

中田耕治 (なかだこうじ)とは
中田耕治

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中田耕治を語る
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作家。1927年、東京に生まれる。
戦後、最年少の批評家として文壇に登場し、『ショパン論』『ゴーゴリ論』などがある。
演劇の演出家としては、「闘牛」(3幕)の演出が代表作。作家として『危険な女』、『異聞猿飛佐助』ほか。評伝『ルクレツィア・ボルジア』、『メディチ家の人びと』、『ブランヴィリエ侯爵夫人』など。また、近作に『ルイ・ジュヴェとその時代』がある。翻訳家としては、ヘミングウェイ、ヘンリー・ミラーなど多数。編・訳も多く、近作に『スコット・フィッツジェラルド作品集』、『アナイス・ニン作品集』がある。

中田耕治執筆本
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中田耕治共著

中田 耕治 訳 / オノト・ワタンナ 著
若き日の永井荷風も読んだ、アメリカン・ジャポニズムの女流作家オノト・ワタンナの小説が、中田流翻訳で現代によみがえる!

 

 


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2018/05/11(Fri)  1743 ダニエル・ダリュー【3】
 
 ダニエル・ダリューが、百歳まで生きたこと。これが、ダリュー以外の誰にもあり得なかった宿命だったと私は考える。

 こういういいかたでは何もいったことにならない。それを承知で書いたのだが、なんとか、みなさんにつたえたいことであった。

 ふと、思い出したことがある。

 これも、もう誰もおぼえているはずはないが――「戦前」の浄瑠璃の名人、摂津大掾(だいじょう)がこんなことをいっていた。
 この名人が七十歳になって、やっと「忠臣蔵」九段目の「本蔵」が、「少しは語れるようになった」と語ったという。

 浄瑠璃にかぎらず、芸事の修行はたいへんにきびしいものだろうと思う。
 九段目の「本蔵」が、どういう役なのか、私の知るところではない。ただ、この話は、母の宇免(うめ)から聞いた。私の母は歌舞伎が好きで、いろいろな役者の話を知っていた。自分でも、琴、三味線の稽古はかかさず、いちおう名とりになった。
 摂津大掾が「本蔵」を「少しは語れるようになった」と語るまでに、じつに数十年という年期を入れていたことになる。
 少年の私は何もわからなかったにちがいない。母の宇免(うめ)が、なぜ、こんな話を聞かせたのか。これも忖度(そんたく)のかぎりではない。

 ダニエル・ダリューがジャン・ギャバンと共演した映画、たしか「シシリアン」だったと思うが、あのときのダリューは、70代になっていたのではないか。ギャバンは、世間的には車の修理工場の経営者だが、じつはマフィアの親分。ダリューは共演といってもワキにまわって、ギャバンの古女房をやっていた。
 映画のラストで、ギャバンは強盗事件の主犯としてパリ警察に検挙される。刑務所に送られたら、まず終身刑になる。それを知りながら黙って見送るダリュー。その一瞬のまなざしに、私は胸さわぎのようなものを感じた。

 70代になったダニエル・ダリューが、そのまなざしの翳りひとつで、こういう古女房の役を「少しはやれるようになった」と語っているような気がしたのだった。

 これで、私のいいたいことが「少しはわかっていただけた」ろうか。

   (イラストレーション 小沢ショウジ)