サイト内全検索 
AND OR
  アートエッセイ評伝創作エロス

目次

 

マリリン・モンロー

・マリリン・モンロー・オークション
・マリリンの魅力
・マリリン
・「マリリン&ジョン」


ルイ・ジュヴェ

・ルイ・ジュウヴェに関するノオト
・ルイ・ジュヴェ(「夏が好き」より)
・『ルイ・ジュヴェ』という仕事(メチエ)
・補遺
・『タルチュッフ』

 


ルネッサンス

・エロス
・傭兵隊長があらわれたのはなぜ?
・メディチ家が登場したのはなぜ?
・高級娼婦が多かったのはなぜ?
・万能人が輩出したのはなぜ?
・錬金術がさかんになったのはなぜ?
・「モナリザ」の「モデル」は?
・ ミケランジェロはゲイだった?

 

『タルチュッフ』


 モリエールの『タルチュッフ』は、ルイ・ジュヴェの生涯をつらぬく劇的主題だった。私は評伝『ルイ・ジュヴェ』でも『タルチュッフ』をくり返しとりあげている。
 1950年の『タルチュッフ』には、それまでと違った異様な執念のようなものが渦巻きはじめる、と書いた。こんな一行にも私のジュヴェに対する共感があった。

 私たちのモリエール理解に大きな転換をもたらしたポーランドの演劇学者、ヤン・コットの『われらの同時代人モリエール』の主題は――あくまで私の推測だが、コットがルイ・ジュヴェの舞台を見たために、コット自身がジュヴェのテーマを発展させたもの、と見ている。コットは、ジュヴェによってモリエールを「発見」したのだ。
 ただし、ポーランド語ができない私は、コットの資料にあたることができなかったため、読む人が読めばわかる程度に書いただけだった。

 『タルチュッフ』は、モリエールの全作品のなかでもいちばんおもしろい。当然ながら、私は何度となく読み返した。その上演史にも眼をくばった。

 主人公、「タルチュッフ」はだれでも知っている。ジュヴェ以前にも、たくさんの名優が「タルチュッフ」を演じてきた。リュシアン・ギトリ、コクラン、コポー、デュランというふうに。
 その伝統のなかで、ジュヴェの「タルチュッフ」は画期的だったと思われる。

 最近、また『タルチュッフ』を読み返した。
 ふと、へんなことを考えた。モリエールが上演した当時の観客は、主人公の「タルチュッフ」にまず何を見たのか。

 しばらく考えて、あっと驚いた。
 ひょっとすると、そうだったのではないか。いや、間違っているかも知れないなあ。
 しかし、モリエールのことだからそのくらいの「いたずら」はやるだろう。

 しばらくこんな自問自答をくり返していたが、だいたい間違いないと推測した。むろん、小場瀬 卓三先生や、鈴木 力衛のような研究家は、こんなことを書いてはいない。世界のどこかに、私とおなじことを書いている学者はいるかも知れないが、不勉強な私はとてもそこまで手がまわらない。

 『仮名手本忠臣蔵』という外題に、作者(ひいては、民衆)のひそかな心情が隠されていたように、「タルチュッフ」という外題を見ただけで、当時の宮廷人(ひいては庶民)は、ただちにこの新作が喜劇だということに気がついたに違いない。

 「タルチュッフ」は、じつはじゃがいもである。まず間違いないと思う。
 フランス語でじゃがいもはポム・ド・テールだが、イタリア語でじゃがいもはタルトゥッフォロという。
 もし、私の説がただしければ、わが国の狂言の外題から内容が想定できるように、当時の民衆は、イタリアふうのコメディア・デッラルテふうの喜劇を思いうかべたはずである。おそらく、外題を見ただけでおもわずニヤニヤしたのではないだろうか。

 われながらくだらない「発見」だが、『検察官』のゴーゴリの「いたずら」や、チェホフの『かもめ』のチェホフの「いたずら」を知っているだけに、モリエールの「いたずら」も、「いたずら」好きな私をうれしがらせる。

 

 

ルイ・ジュヴェ
1 2 3 4 5


投稿者: Copyright(C) 中田耕治2005 All Rights Reserved 日時: 2007年08月09日 09:37


●●メールはこちらから●●●著作権について
中田耕治オフィシャルHPです

本ページ内に掲載の記事・写真などの一切の無断転載を禁じます。
Copyright(C) 中田耕治2005 All Rights Reserved.
イラスト 中田耕治

   Since 2005.4.23