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 ■ ジャスミンの花開く Date: 2006-04-20 (Thu) 
 
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 たいした作品でもないのに、なぜか心に残る映画がある。
 「ジャスミンの花開く」(茉莉花開/ホウ・ヨン監督/04年)を見た。主演、チャン・ツイィ−、ジョアン・チェン。この映画はチャン・ツイィ−のための映画といってよい。 チャン・ツイィ−は、スタ−レットの「茉」、学生結婚をする「莉」、そして養女「花」の三役を演じている。チャン・ツイィ−が三人を演じなかったら、(それぞれべつの女優をキャスティングしたところで)ごく平凡な、あるいはもっと程度の低いものになったはずである。

 まずスト−リ−を紹介しておこう。
 戦前から戦後にかけて、母娘の三代にわたる中国女性の物語。
 三部に別れていて、「茉の物語」は上海(1930年)。写真屋の娘「茉」は映画界に入るが、プロデュ−サ−に誘惑され、処女でなくなった「茉」は並いる女優を押しのけてスタ−になろうとしている。彼女は華やかな誕生パ−テイ−で「茉莉花」を歌う。チャン・ツイィ−自身が歌っているが、「庭中の花も茉莉花の香りにはおよばない」と歌ったとき、悪阻のために吐き気がこみあげて歌えなくなる。この歌詞がヒロインの運命を暗示している。
 妊娠させられたうえ、日中戦争のため挫折する。このとき生まれた娘のスト−リ−が「莉の物語」になる。
 「莉の物語」はおなじ上海(1950年)、文革の時代。「莉」は労働者と結婚するが、子どもができない。養女「花」を育てる。しかし、夫が養女を犯すという妄想に憑かれて、夫は自殺、自分も死ぬ。
 この養女のスト−リ−が「花の物語」。上海(1980年)。「花」は祖母に育てられるが、地方の大学に進んだ恋人と秘密に結婚する。やがて男が日本に留学するため、別れる決心をする。別れる直前の性行為の結果、妊娠してしまう。祖母は自分の過去を「花」に語って永眠する。花は、どしゃ降りの雨の路上で出産する。やがて茉莉花が開く季節になる。・・

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 「茉莉花」は江蘇省の民謡。金城 武主演の香港ノワ−ル「暗黒街」でも効果的に使われていた。毛 沢東の時代にはまったく歌われなかったが、江 沢民が江蘇省出身だったことから、あらためて歌われるようになった。この映画のなかで、「茉莉花」が歌われていることから、演出の意図を暗黙のうちに知ることができる。
 「莉の物語」のなかでさりげなくテレサ・テンが流れ、「花の物語」ではフェイ・ウォンが流れる。中国の観客ならそれだけで歴史の変化を感じるかも知れない。
 母娘三代にわたる女性を描いた映画では、「エミリ−の未来」(西ドイツ=フランス合作)や、正確には年代記ではないが、ヴァ−ジニア・ウルフの死、その作品を読む女、さらに時代をへだてた女を描いた「めぐりあう時間たち」(ニコ−ル・キッドマンがアカデミ−賞を受けた)などを思い出すが、「ジャスミンの花開く」は年代記的というよりは、あくまで、近・現代の中国の歴史を背景にした女性映画と見るべきだろう。
 「茉の物語」の上海(1930年)は戦火に巻き込まれるが、むろん、こういう状況をとりあげていても「カサブランカ」のパリ、「存在の耐えられない軽さ」のプラハのような緊迫感があるわけではない。おなじ上海が背景でも「上海ル−ジュ」や「上海グランド」ほどの意味はない。ただ、上海はヒロインの運命を換えたトポロジ−のひとつ。
 上海を選んだことから、当然ながら北京を背景にした「グレ−トウォ−ル」(ピ−タ−・ウォン監督)などとちがった雰囲気をみせている。
 「莉の物語」で、都会の純真な娘が地方出身の男と結婚して、姑からいじめられる。夫からもプチブル的と見られる。そうした階級差別、あるいは逆差別を、この映画はさりげなく描いている。そして(「莉」の妄想としてだが)思春期の少女、「花」が夫に犯されて処女を失うシ−ンは、中国映画としてはタブ−だったはずで、狂乱した「莉」が党の規律委員会に訴えるといい出したため、夫が自殺する。ただし、エロティックなシ−ンは見られない。しかし、女性の生理を見つめようとしていることはたしかで、「茉」の破瓜、「莉」の妄想、とくにラストに近く「花」が破水しながら、深夜、どしゃぶりの雨のなかを病院に向かう途中で、路上で出産してしまうシ−ンにこの監督のコンパルシヴな関心が見られる。
 インセストという主題に重なって「莉」が自殺する、といった展開は私たちにずっしりと重いものをつたえてくる。こうした悲惨は、やはり体制の差別意識が作りあげた規制から生まれてくるからだ。いわば被害者としての民衆の姿かあぶり出されている。
 原作者については何も知らないのだが、林 白(リン・パイ)、遅 子健(チ・ツシャン)などの「青年女作家」と同世代の女流作家ではないだろうか。

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 ホウ・ヨン監督は、はじめコン・リ−を主役に考えていたらしいが、時間がたつにつれて、チャン・ツイィ−が成長してきたので、その意味で監督にとっても主演女優にとっても幸運な映画になったと思われる。
 「茉莉花」を歌うチャン・ツイィ−は、まさに清楚なこと茉莉花に似て、凛然たること氷霜のごとく、また、「莉の物語」では、貧しい布の裙(チュン)、無造作に切りそろえた黒髪ながら、艶冶(えんや)にあでやかなふぜいがある。
 チャン・ツイィ−は、みずから発している輝きとは別に、まわりから押し寄せてくる光を反射するタイプの女優である。人気女優なら誰もが、みずから発している輝きを見せているわけではないし、人気などとは関係なく、まわりから押し寄せてくる光を反射するわけでもない。
 彼女が主演した「SAYURI」は、衣装ほか2部門でアカデミ−賞を受けたが、結果としてはチャン・ツイィーの美しさに対してあたえられたと見ていい。しかし、「SAYURI」や、「LOVERS」は、たまたま彼女が出た映画であって、「ジャスミンの花開く」は、チャン・ツイィ−によるチャン・ツイィ−のための映画なのだ。
 この程度の映画に出たからといって、チャン・ツイィ−の人気がますます高まるわけではない。しかし、「ジャスミンの花開く」は、現在の彼女でなければ作られなかった映画で、ホウ・ヨン監督が彼女を起用したのは、チャン・ツイィ−の本質的な魅力が輝くと見たからだろう。
 チャン・ツイィ−はこの映画に前後して、スペキュタクラ−な「LOVERS」や「十面埋伏」に出て世界的に知られるが、日本では、まつたく愚劣な「オペレッタ狸御殿」に出た。ただし、鈴木 清順のような凡庸な監督の愚作に出たからといって、女優としての可能性、表現力、みずみずしさはかわらない。
 わざわざ「ある時期」といっておくのは、こういう女優でさえ、いつもまわりから押し寄せてくる光を反射していたわけではないからである。東洋ふうに、気韻、ないしは香気といってもよい。むろん演出家によってその気韻や香気は変化することが多い。
 ほかにいいことばがないので、「香気」(フレグランス)といったクリシェを使っておくが、このあらわれかた、ただそれだけが、その女優をほかの女優と区別するだろう。
 これはしばしば短いあいだに消えてしまう。そのかわり、人気が出てくる。だが、人気というものはいつだって凡庸なものだ。
 もともと魅力のある女優で、その魅力の一つは、ほんのわずか斜視に近い眼のせいではないかと思う。日本の女優では多岐川 由美がおなじロンパリだが、チャン・ツイィ−のまなざしは、かつてのキム・ノヴァクのFaraway lookに近い。
 おなじような例として、ある時期のマ−ル・オベロン(「嵐が丘」)、イングリッド・バ−グマン(「カサブランカ」)をあげておこう。
 この映画のチャン・ツイィ−(章 子怡)は、まさにそうした「香気」を放射している。
 ジョアン・チェンは、「ラスト・エンペラ−」(ベルナルド・ベルトルッチ監督)で皇帝、傅儀の第一王妃「婉容」をやっていた。満州の傀儡帝国の王妃になるが、やがてアヘンにおぼれ精神に異常をきたしてしまう悲劇のヒロイン。
 この映画では娘にきびしい中年の母親から、もはや諦観のうちにひっそりと死んでゆく祖母を演じている。

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 「ジャスミンの花開く」は映画としてすぐれているわけではないが、やがて歴史的な状況の変化のなかで忘れられても、女優の輝きだけはつたわるだろう。たいした作品でなくても心に残るのは、女優がそのまま「ヒロイン」の魅力に重なっているからである。
 ホウ・ヨン監督は張 芸謀の撮影監督として知られているが、はじめて演出を手がけたもの。はっきりいって、張 芸謀ほどの演出力はない。撮影監督らしくカメラワ−クがいいのは当然で、全体に淡彩な映画に仕上がっている。
 この映画は、現在、中国では公開されていない。この事実は、私たちにいろいろなことを考えさせてくれる。                 (06.2/映画ノ−ト)


――この映画は06.4.26に中国でも公開されることになった。チャン・ツイィーが、カンヌ映画祭の審査員にウォン・カーウァイとともに選ばれたことも影響しているかもしれない。


              

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