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  アートエッセイ評伝創作エロス

 

目次

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 ■ 強靱なリアリスト Date: 2007-05-30 (Wed) 

 
 ロマン主義は芸術におけるフランス革命だ、といった人がいる。はるか後年、この人のことをさして「ヴィクトル・ユーゴーは、自分をヴィクトル・ユーゴーだと信じている狂人だ」とコクトオが皮肉っているが、これをもじっていえば、ロマン主義者は、自分をロマン主義者と信じている狂人にほかならない。
 ヴィクトル・ユーゴーのいうように、ロマン主義には革命の芸術と芸術の革命という両面の性格がある。革命の芸術ならば、決定的なかたちで過去との絶縁が見られるはずで、それはただの芸術の発展ではないし、ブルボン王朝や、その宮廷によってささえられてきた芸術が、ひろく市民のものになったという社会的な変化だけにとどまるものではない。
 七月革命にはじまるルイ・フィリップの時代は、ロマン派の成熟の時代だった。たとえば、画家のドラクロアはモロッコに旅行して異国的(エグゾティック)な作風に転換して行く。それは、いわばポリフォニックな色彩の追求といえるだろう。
 ところが、私にとってのショパンは、このロマン主義とはほとんど関係がない。
 ミュッセの戯曲『ロレンザッチョ』に、「ひとはみな自分の心のなかに、他人にはうかがいしれぬ一つの世界をもっている」という台詞がある。
 この台詞からも、ロマン主義の芸術家は他のひとと共通するところのない、独自の、そして孤独な世界を追求すると見ることもできる。ところが私は、ラマルティーヌや、シャトーブリアンのような芸術家の「孤独」など、あいにく信用してはいない。むしろ、ロマン主義の時代にあってほんとうに孤独な制作家、おのれの孤独において他人のくわだて及ばないものを刻みつけた人はごく少数と見ているし、その少数者のなかにショパンを見いだす。

 私にとって、ショパンはおよそロマン主義の芸術家ではない。あえていえば、強靱なリアリストなのである。だからこそ、ショパンの内面にはやはり「他人にはうかがいしれぬ一つの世界」があると考える。それはもとより孤独な制作を彼に強(し)いたに違いないし、だからこそ、私のように何も知らない人間の心をつよく打つのだと思っている。他人にはうかがい知れぬ一つの世界をかいま見る思いで、私はいつもショパンを聞く。

 モーツォルトは誰が演奏してもモーツォルトだが、ショパンは誰が演奏してもその人のショパンなのだ。それでいいのではないだろうか。


  (注)このエッセイは、遠山 一行著『ショパン』(昭和63年/新潮文庫)に掲載された。

 


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