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  アートエッセイ評伝創作エロス

 

目次

「天井桟敷の人々」

「視線のエロス」

強靱なリアリスト

「黄金の指」

アリス・ガーステンバーグのこと

アディユ−、シモ−ヌ

アリダ・ヴァリ追想

「オーメン」回想

ジャスミンの花開く

オペラ歌手 松島理恵

ピンナップ

セザンヌの石ころ

小林正治

サムライ・ニヒリズム
――法
月弦之丞と眠狂四郎――

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 ■ アリス・ガーステンバーグのこと Date: 2006-08-21 (Mon) 

 アリス・ガ−ステンバ−グは、わが国ではわずかに『陪音』で知られているにすぎない。

 シカゴ出身の劇作家だった。
 彼女が、いわゆる「シカゴ・ルネッサンス」にかかわりがあったかどうかわからないが、おなじ気運のなかにいたと見ていいだろう。

 1885年、シカゴ生まれ。「ピ−タ−・ラビット」の作家、ビアトリックス・ポッタ−よりもあとの世代。
 比較のためにあげておけば・・・メアリ・ウェッブより4歳下。ヴァ−ジニア・ウルフより3歳下。キャサリン・マンスフィ−ルドより3歳上。アガサ・クリスティ−より5歳上。
 父は、エリック・ウェイシェンドルフ・ガ−ステンバ−グ。母はジュ−リア。
 裕福な家庭のひとり娘として育った。名前からドイツ系とわかる。
 1907年、当時、アメリカ一流の女子大、ブリンモアを卒業している。彼女の経歴は残念ながらよくわからない。

 1913年、モ−リス・ブラウンが創立したシカゴの劇場のメンバ−だった。女優として舞台に立ったが、どういうレパ−トリ−だったのか。
 第一次世界大戦のさなかに、アリスが舞台女優として修業していたことはおもしろい。
シカゴは、1912年にハリエット・マンロ−が「ポエトリ−」を創刊している。薄っぺらな詩の冊子だが、この「ポエトリ−」がアメリカの詩に大きな変革をもたらした。カ−ル・サンドバ−グの詩「シカゴ」を読めば、当時の新しい産業都市としてのシカゴが巨大な混沌のなかにあったと見ていいのだが、「ポエトリ−」は外国の詩を紹介し、アメリカ詩にあたらしいいのちを吹き込んだ。エドガ−・リ−・マスタ−ズ、ヴェイチェル・リンゼ−、カ−ル・サンドバ−グとおなじレベルで、演劇に新風を吹き込んだといえるだろう。

 1916年、寒村、プロヴィンスタウンにひとりの劇作家が姿をあらわす。
 彼は、ここの劇団「プロヴィンスタウン・プレイヤ−ズ」に参加する。劇団は、彼の戯曲をつぎつぎに上演した。やがて、彼はブロ−ドウェイに登場する。
 ユ−ジン・オニ−ル。
 1920年、ブロ−ドウェイで上演された『地平の彼方』(三幕)でピュリッツァ−賞を得た。

 翌年の1921年、アリスは、友人のアネット・ウォッシュバ−ンとともに児童劇専門のシカゴ・ジュニア・リ−グ劇場を創立した。
 翌年、シカゴ・プレイライツ劇場を創立。ブロデュ−サ−としてこの劇団を主宰した。彼女の活動は、1945年まで続いている。
 1950年代のアリスは、「アリス・ガ−ステンバ−グ実験劇場ワ−クショップ」で、新人劇作家、演技者を育て、1960年代には「アリス・ガ−ステンバ−グ劇場」をひきいた。

 アリスとオニ−ルは、まったく対照的な劇作家だった。
 オニ−ルと違って、ブロ−ドウェイとはまったく無縁で、シカゴの小劇場運動に生涯をささげたため、アメリカ演劇史に名をとどめたわけではない。あくまで地域社会の劇団活動だったために、むしろ無名の演劇人だったが、それだけに彼女の仕事はきわめて特異なものだったし、演劇人として特異な存在だった。

 ガ−ステンバ−グは生涯、独身だった。
 同時代の女流作家、アイヴイ・コムトン・バ−ネット、マ−クル・フェレス、ロ−ラ・マコ−リ−たちとおなじように。

 1972年、ガ−ステンバ−グはシカゴで亡くなっている。

 個人的なことだが、私は彼女の『ポットボイラ−』を訳した。そして、彼女の脚色した『ふしぎの国のアリス』を訳して、私の演出で上演した。
 アリスの仕事を手がけたのは、私にとって生涯のよろこびの一つになった。

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